2018.6.13

先日、教会の創立85周年記念礼拝が無事にささげられました。礼拝の後には、会堂建築準備委員会が開かれ、教会のこれからについて話し合いました。創立90年、100年を目指して歩んでいこう!という点で一致して歩み出すことができたのでよかったです。

 「人間の毎日することの中に、どんな小さなことにも、必ず明暗二つの道がある。そうして人はいつでもその岐路に立っている」と羽仁もと子さんは語ります。困っている人がいる場合に声をかけるか、素通りするか。面倒を避けていく生き方は真実な生き方か。そう羽仁さんは問いかけています。わたしは恥ずかしながら、声をかける時もあれば、かけない時もあるというのが現状です。気になっているのに勇気がなくて声をかけないという時もあります。自然と声をかけられる時もあります。身近な家族でも、ひと声かけてあげられる時もあれば、もやもやした気持ちを抱えていて声をかけられない時もあります。その相手との関係、自分の心身の状態、いろいろなものが複雑に絡み合っていると自己分析しますが、言い訳するような生き方はしたくないと思っているので、その生き方を貫くことが大事かしらと思います。

 

そう言っても、弱い自分がいます。自分が望むようには生きることのできない弱い自分を知らされますが、その自分を受け入れてくださる神さまがおられます。今日の聖書研究は詩編51編でしたが、まさに神の前に大きな罪を犯した詩人が、罪を告白し、罪の赦しを感謝する言葉が語られていました。人は皆、神の前に罪を犯す弱い存在ですが、その弱さを知り、神の助けを求めることができます。そして神は、その声を聞き、助け出してくださいます。神はどんな人間でも受け入れ、心の叫びを聞いてくださる。神の恵みは果てしなく大きいことを学びました。いつでも帰る場所があるというのは、安心ですよね。私たちが帰る時にはいつでも迎え入れてくださる神がおられることを覚えて、弱い自分を受け入れながら自分の人生を歩いていきたいと思います。