2018.08.01

今日から8月です。夏らしい暑さと晴天で8月が始まり、「今年の夏は、まだまだ続く…」という気持ちになりました(^_^;)

 教会の8月の予定は、5日はわたしが成宗教会で説教をするため、岩居保久志先生(目黒原町教会前任牧師)に説教をしていただきます。12日は礼拝と執事会、19日は礼拝のみ、そして26日は礼拝と会堂建築準備委員会が開かれます。暑い夏も、淡々と礼拝をささげる群れ、それが教会です。9時からの第一礼拝も、毎週行われていますので、ぜひどうぞ!

月曜日、前にお知らせした「近代日本とキリスト教―『明治150年』を考える―」連続講演の初回に参加してきました。講演題は「ピューリタニズムと日本の共同体」というもので、明治からの近代日本を形成する上でキリスト教、特にピューリタニズムがどのような影響力をもっていたかを内村鑑三と徳富蘇峰を通して考察する講演でした。基礎知識のないわたしにとっては、新しい発見も多かったですが、全体を通しての印象は、(本論からはずれていますが)人間あまり変わっていないというものでした。例えば、蘇峰は「文明の業を追求するには、その精神的基礎が重要であり、プロテスタント・キリスト教に由来する人間的資質の涵養に努めなければならない」と力説したようですが、これは現代にも通じる言葉だと思いました。現代の科学技術の進歩は目覚ましいものですが、その精神的基礎はどうなっているのか。私たち人間も、技術や知識を習得し、それを自由に使う力はあるが、肝心の心の状態はどうなのか。形ばかりで一番大切な精神的基礎は形成されていないのではないかと思いました。

他にも、蘇峰がキリスト教会の中の青年の覇気が失われ、「厭世者流」がはびこりつつあると指摘した文書で、「彼らは常に恋病人の如く暮らせり、半ば悟り損ねた禅僧の如く暮らせり、彼らは安逸を愛し、無事を愛し、平穏を愛し…」という言葉も、今に当てはまるのではないかと思って聞きました。

 

その中で教会が果たすべき役割は、やはり精神的基礎を形成することだと思いました。神の言葉である聖書に聴き、聖書から教えられ、導かれていくときに、「人間的資質」が養われていく。あるミッションスクールの先生が、「心を育てるみ言葉を大事に教育している」とおっしゃっていましたが、人間性を育てる力は聖書にあり、キリスト教にあることを改めて思いました。これからの教会を考える上でのヒントが与えられ、感謝です。