2018.09.19

だいぶ秋らしくなりました。ふと気が付くと、彼岸花が咲いていて、異常気象だと言いながらも季節の花はきちんと咲いていることを知らされました。

キェルケゴールの『異教徒の憂い』という本を読みました。「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は命よりも大切ではないか。(マタイによる福音書6:25)」この個所から、私たちは思い悩むことが多いが、空の鳥や野の花を見ることによって、思い悩むことから解放される道を知ることができると語っていきます。特にクリスチャンはその道を知っており、思い悩むことから解放されているとも語ります。実際はクリスチャンも思い悩むことばかりで、異教徒のような存在だと皮肉交じりに語っている部分もありますが、野の花を見ることによって学ぶことが多くあるという点に共感を覚えました。

今回の彼岸花で、わたしは季節が進んでいることを知りました。定められた時に花は咲き、定められた期間咲き続け、そして枯れていきます。神さまが定められたままを生きています。しかし人は、定められたことに文句を言い、自分で何かをしないと気が済まず、神さまよりも自分の意志を優先します。そこから思い悩みも生まれてきます。人は、鳥や花とは違い、考えて行動する生き物なので、そのために思い悩むことから解放されません。しかし、神さまを知ることで、その思い悩みから少し解放されます。神さまにお任せすることができるからです。

また年齢を重ねると、思い悩むことからだいぶ解放されるのかもしれないと思いました。先日の日曜日、敬老の日のお祝いの後、施設に入ってなかなか教会に来ることのできない教会員にお祝いのカードを届けてきました。喜んでくださり、施設での生活やご自分の人生を語ってくださいましたが、何度も「何も心配することがないから幸せ」とおっしゃっていました。「命と体が守られている。他には何もないけれども、安心して生きていけるから恵まれている」ともおっしゃっていました。わたしも年を重ねた時に、こういう気持ちでいられたらいいなと思いました。神さまに守られている安心感を教えていただいた訪問でした。

 

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(マタイによる福音書6:26)」