2023.04.13

先日は大勢の方々が集まり、にぎやかなイースター礼拝となりました。第一礼拝では、子どもたちが上手にベルを演奏していました。本当に楽しい日曜日となり、感謝でした!

イースターは、新しい時の始まりです。イエスさまが死からよみがえり、新しい命を獲得された日だからです。新年度の始まりでもありますので、新たな気持ちで歩み出したいという思いを強くしました。というのは、あまり新しさを感じなくなったり、新たな歩みに期待する気持ちが薄れているからです。第一礼拝は人数が増えている反面、第二礼拝は人数が減少しています。特に、毎週礼拝に参加していた方々で、若い世代の方々が、それぞれに課題を抱え、毎週は参加できなくなっています。前年度の最終決算は赤字でしたし、新年度予算も赤字覚悟のものとなっています。厳しい現実を前に、期待する気持ちが弱くなっていることを実感しています。だからこそ、御言葉に励まされる思いがしました。

受難節の319日から復活後の416日まで、ルカによる福音書から御言葉を聞いています。9日はエマオに向かう弟子たちと主イエスが出会った場面で、主との出会いが復活を信じさせたこと。主の言葉が弟子たちの心を動かしたことを聞きました。自分は主イエスと出会うことを求めていたか。そう問われる内容でした。16日は、弟子たちの集まっている場所に主イエスが現れ、「平和があるように」、「約束されたものを待つように」という指示を受ける場面です。復活した主に出会っても、まだ確信できない弟子たちは不安と恐れの中にいます。そこに主は現れ、「平和」を与えられました。また「心の目を開いて」、神の約束を告げます。救い主は苦しみを受けて殺され、三日目に復活すること、罪の赦しを得させる悔い改めがあらゆる国の人たちに告げ知らされること、弟子たちがその証人となるという約束です。上からの力「聖霊」が降る時、弟子たちは証人とされるので、その時まで都にとどまっていなさいと命じられて御言葉は終わります。

 

私たちは今、聖霊が降る日を待っています。その時には復活の主の証人として立ち上がり、主の救いを告げ知らせる者となる。教会に上からの力が注がれ、その力によって教会が証人として立つことを知らされました。自分たちの現実ではなく、神の約束に目を向けさせられました。神の約束は確かなものなので、私たちは神のもとに「とどまっていたい」と思います。不安が消えることはありませんが、神のもとにとどまることが私たちの心を支え、未来に期待をもたせます。神のもとにとどまろうという思いを、16日の礼拝で共有できれば嬉しいです。

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