2023.06.08

間もなく梅雨に入りそうですね。今日の晴れ間を有効に活用したいと思います。

さていよいよ、創立90周年が近づいてきました。メッセージを語る岩居先生は準備でお忙しいと思いますが、わたしはゆとりのある日々を過ごしています。主日礼拝の説教の準備に、相当の時間を割いていることに気づきます。牧師にとってはメインの仕事ですので、当然ではありますが、自分の時間の使い方について、一種の気づきが与えられました。

毎週水曜日に行っている聖書研究・祈祷会では、昨日ハバクク書の学びが終わりました。来週からゼファニヤ書に入ります。ハバククという預言者は、自分の戸惑いを言葉にして、神に訴える人です。終わりの見えない苦しみの中、「主よ、いつまでですか」と叫び、「悪を行う者を放っておかれていいのですか」と訴えます。ロシアのウクライナ侵攻から14か月、ハバククの訴えが自分たちの言葉のようです。悲惨な現実の中、何かが間違っていると感じる世の中、神の御心はどこにあるのだろうと問いかけざるを得ません。

ハバククに示されたことは、神が来られるとの幻です。混沌とした世界に、神の秩序を再びもたらすために、神自らが来られると示されます。その時、神に逆らう者は攻められ、神に従う人は救い出されます。実は、神はすでに救いの計画を実現するために働いておられます。ハバククは現実の中に、神の働きを見ました。この世のどんな勢力も神の支配下にあり、救いの時に向かって進んでいると知らされました。ハバククは神を再発見し、神への信仰を新たにしました。嘆きは賛美に変わり、訴えることを止め、静かに待つ者へと変えられました。神との新たな出会いが、ハバククの信仰を新たにし、信仰者として生きる力を与えたのです。「神に従う人は信仰によって生きる(24)」との言葉が、ハバククに実現しました。

 

神との新たな出会い、また神を再発見することの大切さを思いました。長く信仰生活を続けていると、神を知ったつもりになっていますが、それは自分が勝手に造り上げた神の姿です。生きて働かれる神を知るには、いつも出会うことが必要です。礼拝や聖書研究・祈祷会は、神と出会う場です。出会うことを求めつつ、準備をしていきたいと思いました。

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