2023.11.09

先日の永眠者記念日礼拝は、多くの方が参加されました。先に召されたお一人おひとりを覚えつつ、赦しの中を生きる幸いを分かち合うことができました。

今、聖書研究・祈祷会では、ゼカリヤ書を学んでいます。先日はゼカリヤ書11417を一緒に読みましたが、悪い羊飼いへの言葉が告げられていました。印象的だったことは、悪い羊飼いは、屠るために羊を飼うこと。自分の私欲のために羊を自由に売り買いし、自分は「金持ちになった」と満足しますが、肝心の羊のことには関心をもちません。本来、羊飼い(王や指導者を指す言葉)は、群れの羊に心を留め、「好意」をもって群れを治め、群れ全体に「一致」をもたらそうとする存在です。しかし、現状は真逆である状況が語られていました。

現在の世界を映しているような気がしました。羊飼いである各国の指導者は、本来羊の世話をし、群れを養う務めが与えられていますが、今は私利私欲のために羊を飼っている現状があります。私たちが生きている日本も例外ではありません。聖書の言葉は、古いようで新しいと出席者は感想を述べていました。

続いてゼカリヤ書は、この悪い羊飼いを神は見放され、契約を無効にされると告げます。その時にこういう言葉を語ります。「わたしはお前たちを飼わない。死ぬべき者は死ね。消え去るべき者は消え去れ。残った者は互いに肉を食い合うがよい。(119)」神を拒む世界は、共食いの世界に陥っていきます。神がおられないことが無秩序を生み出し、人は破滅へと進んでいきます。神が人を放っておかれることが、まさに神の裁きだと告げます。今のこの世界がどこに向かって突き進んでいるのか、恐怖を覚えました。

 

11章はこの裁きの言葉で終わるのですが、ゼカリヤ書全体は、希望を語っています。ろばに乗って平和の王が来られる(9910)。断食は楽しい祝祭の時となる(819)。神が罪と汚れを洗い清められる(131)。この世は荒れた世界であるけれども、神が真の平和をもたらす王を送られる。その時には、苦しみは喜びに変わり、罪も洗い清められると語ります。この平和の王が、イエス・キリストです。クリスマスの日、お生まれになるお方です。この世に真の平和をもたらす方は、この世界を造られた神しかおられません。だから、教会は神の支配が来ることを祈り求めています。同時に、神は人を神に似た者として造られました。人は神の御心に従って生きることができ、御心を果たすために行動することができます。キリスト者としてどう生きるかと問われる日々です。教会にしか語ることのできない言葉をしっかりと語る者でありたいと願っています。

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