2023.12.07

寒暖差の激しい日々が続いています。どうぞ、体調を崩さないようにお気をつけください。

聖書研究・祈祷会では、マラキ書の学びが始まりました。マラキ書は、淡々を繰り返される日常、苦しい生活が改善する兆しはなく諦めモードになっているイスラエルの民に向けての預言です。信仰生活に疲れてしまい、信仰が飾り物となってしまっている民に、神の思いを知らせ、信仰を目覚めさせようとしています。コロナ禍を経た教会への言葉と受け取りました。委縮してしまい、なかなか新しいフェーズに踏み出せない教会。コロナ禍でも粛々と礼拝がささげられたことから、このままでいいのではないかと思う心。現状に甘んじてしまう教会の現実が語られていると思いました。

しかし、聖書はいつも神に目を向けさせます。神はあなたたちを愛してきた(マラキ書12)。エドムが故郷から追い出されたのは、ヤコブを愛しエサウを憎んだ神の働きによる。現実に現れる神の御心を自分の目でしっかりと見なさいと促します(マラキ書135)。また、あなたたちのささげている礼拝は本当に神の喜ばれる礼拝となっているのかと問いかけます(マラキ書1614)。聖なる神に汚れた犠牲をささげる感覚の麻痺してしまった民の過ちを指摘して、聖なる感覚を取り戻すように突き動かしていきます。

信仰生活には慣れが起こります。最初は聖なる神を畏れ、礼拝の時にはすべてを整えて参加していても、長く続けるうちに惰性になったり、甘えが生じます。わたしはクリスチャンホームで育ちましたので、小さい頃からずっと教会に行き、礼拝もほぼほぼ欠かすことなく今まで生きてきました。教会が大好きで、喜んで礼拝に出席していましたが、本当に礼拝を喜んでいたのか、神の思いを受け取りそれに応えて生きてきたかと、問われました。信徒であった時の自分も、牧師である今の自分も、「慣れ」から逃れることはできません。務めを粛々と果たすことと惰性で行うのでは、雲泥の差があります。改めて、神に仕える重さを感じて、日曜日の備えをしていきたいと思わされました。

 

聖書は、その時に必要な言葉を与えてくれます。マラキ書は心に突き刺さるような言葉ですが、信仰を正すうえで必要な言葉です。聖書には66巻の書物があり、さまざまな言葉が納められています。人生の羅針盤となる聖書の言葉をぜひ聞きに来てください。

  〈牧師のブログトップ〉